ふたりへ

こうして手紙を書くのはずいぶんと久しぶりになりますね。

 

小さい頃は、あんなにほいほい書けていた手紙は

いつのまに気恥ずかしいものになり、

22歳を迎えた今も、友達に贈る言葉さえ、難しいままです。

 

今日は、今までの想いをどうにか言葉にできればと思います。

 

まずは、ひとつ。

私はふたりにとって良い娘であれているでしょうか。

 

育ててくれてありがとう、なんてセリフが本来であるべきなのかもしれないけど、まだ迷惑も心配もかけてばかりで、育ったなんて言い切れる日はきっとまだ先のような気がしています。

ここまで引っ張り上げてくれて、ありがとう。

 

自分のことを、誰かに認めてもらうことはもちろん、

なにより自分を認めたい気持ちも大きい人生でした。

 

自分のことは好きだけど、自分への自信はこれっぽちもなくて、

自分が今立っている場所を、自分が認めてあげることで、

自信に繋がればいいな、と思ってきました。

 

きれいな道を、かしこい道を、

それがどんなに良いものか分かっていながらも

自分は上手に歩けなかったから

「私が歩く道ではない」と思い込ませたからこそ

自分が選んだ道を自分の中で絶対に正解にしたかったのです、

 

継続は自分の力になる以上に、やがて糧になります。

 

私はこんなにやってきたのだから、

ここで終わってたまるか、という意地になります。

 

きっとこう思えるのは、

私の人生の前半部分で経験したことがあったからで

そう考えれば、自分の軌跡はまるっと愛せそうな気がします、

 

そして、自分の歩んだ道を今こうして好きでいれているのは、

こんな遠回りばっかりの姿を肯定し、いってらっしゃいと送り出してくれたふたりがいたからだと思っています、

 

中学受験、高校受験、大学受験、就職活動と

たくさんの人生が変わるタイミングがあったなかで、

みんなで一緒に取り組んでくれたこと、いっしょにくやしがってくれたこと、いっしょに喜んでくれたこと、

 

こんなに認められたいのに、ほめられたいのに、

ほめてもらった後の言葉も、表情も、愛嬌も

ちっとも上手くならないままだったけど、

自分より自分のことを喜んでくれる人がいてくれたことが

なにより私の中で大きなものでした。

 

私もいつか子どもができたら、そんな親でありたいと思います、

 

上手に言葉にできないけれど、

私はふたりの家族でいれてしあわせです。

いつかふたりにもそう思ってもらえるように、これからは私が力になれるように、遠回りでがんばります。きっと雨だけど、ね。

 

さいごにひとつ。伝えたいこと。

 

私は、生きてきた中で、

自分が生まれてきたことを悔いた日はありません。

 

どんなに負けても、悔しい日があっても、

落ち込むことはあったけれど、ね。

器用なふたりには、たくさん歯がゆい気持ちもさせたと思います。

 

決してなよなよせず、強く、しぶとく歩んでこれました。

 

折れる機会なんてそこらじゅうにあったのに、

今こうして自分があれているのは、

ふりかえると、私が「くるしい」と感じる場所より、「たのしい」と感じる場所がたくさんあったから、自分の存在を否定することなく、ここまでやってくることができたんだと思っています。

 

私の居場所をたくさんつくってくれて、ありがとうございました。

 

これからもわたしの自慢の家族でいてね、